【驚愕の趣味歴 パソコン編】
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よく考えてみれば、中学生の頃の筆者は下校途中の公園で友人たちと将棋を指していたりするような奴だったのだ。かなりおかしい。あまりにおかしいという印象を与えるのもなんなので、まずはマトモそうな趣味から語っていこうではないか。そこで今回は今皆さんの眼の前にある「パソコン編」をお届けしたい。パソコンを使っている人なら趣味がパソコンと言ってもおかしがりはしないであろう。
筆者のパソコン歴は比較的古い。中学生か高校生かは忘れたのであるが、筆者の最初の愛機はナショナル(この社名自体が既に古い)の「JR200」という機種だった。当時はたしかファミコンすらなかった時代である。この時代のパソコンといえば、NECのPC8001やシャープのMZ80シリーズが人気だった。が、筆者は何故か実家がナショナルファンであったために、当時でもかなりマイナーなJR200を買ってもらったのである。
このパソコン、1つの売りはキーボードだった。今では信じられないが、キーボードのキーが全てゴム製だったのである。「消しゴムキーボード」などと言われていたのだ。どうしてこんなキーボードがセールスポイントになっていたのかは不明だが、実際かなり使いにくかった。
この時代、プログラム言語はもちろんBASICである。データはカセットテープに録音(?)していたような時代だ。パソコンソフトもCDではなくてカセットテープの形で販売されていたのだ。
現在こそソフト全盛の時代だが、当時はそうではなかった。だいたいソフトなど殆どなかった。しかも各会社のマシンに全く互換性がないのだ。筆者のマイナーな愛機用のソフトなど「ゴルフゲーム」くらいしかなかった。
であるから、皆プログラムを自分で作ったり打ち込んだりして遊んでいたのである。当時のパソコン雑誌にはゲームなどのBASICプログラムを多数載せたものが多かった。それらを購入しては自分でそのプログラムを打ち込むのである。なんとも手間の掛かる趣味である。
こんなことを繰り返していると、誰でも少しはBASICが理解できるようになる。筆者は殆どBASICは勉強しなかったが、見よう見真似だけでも「鶴亀算一発計算プログラム」くらいは作れるようになった。ちなみにこのプログラム、筆者の最初にして最高傑作のオリジナルプログラムであって、頭の数と足の数を入力すると即座に「鶴が○匹、亀が×匹」と弾き出してくれる代物だった。ただし、当時既に中学生で鶴亀算などとっくに卒業していた筆者には全く役に立たなかったプログラムであったことは言うまでもない。
だが、これが筆者の限界だった。やはりプログラマーには向いていなかったようだ。大学に入った筆者は念願のPC9801シリーズを購入し、それ以後パソコンはソフトに任せっぱなしの現在に至るのである。
…以上で筆者の簡単なパソコン遍歴はおしまいであるが、実は「鶴亀算」を思い出してムクムクと湧き上がってきた妄想がある。明日は番外編として「鶴亀算」を巡る妄想について書こうと思う。こんなことに期待している読者がいるのかどうかは怪しいが、とにもかくにも明日を待たれよっ!