【マルタ島旅行記第3章 -聖ヨハネ司教座聖堂 前編-】
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既に皆様御存知とは思うが、これは5月末のマルタ共和国旅行記&コネタ集のコーナーなのだ。まだこのアホなコーナー名の由来が理解できていない貴方、是非前々回のこのコーナーの記事をご覧いただきたい。
さて、本日はマトモ(?)なマルタ島旅行記の3回目、「聖ヨハネ司教座聖堂」編である。それも何故か「前編」なのだ。どこまで引っ張るつもりだ、との声も聞こえるが、写真を整理したら20枚以上も出てきたので分割せざるを得なかったのだ。どうかご勘弁をいただきたい。
今回の「前編」では、この聖ヨハネ司教座聖堂(St. John's Co. Cathedral:以下「大聖堂」と略す)の概要をお伝えしたい。いわば総論編だ。各論編は来週を待たれよ。
筆者はこの旅行最終日、月曜日の午前中にこの大聖堂を訪れたのだ。週末は閉館だったからである。時間軸は多少前後するが、いちおう筆者の許容量の狭い頭の中ではテーマ毎にお送りしているつもりなのだ。そう、只今はマルタの見所その1「聖ヨハネ騎士団の歴史探訪」なのである。なんじゃそりゃ?と思われた方はこちらの記事で復習してもらってもいいぞ。
さて、以下にそのときの写真を示すが、今回も騎士団の怨霊のせいか(?)、多くの写真がボケてしまっていることをまずは御了承願いたい。何せこの大聖堂内はフラッシュ厳禁、筋力のない筆者には手ブレを抑えることなど至難の技だったのだ。
では行ってみよう。
まずはこちらが大聖堂の内部。
この墓碑の紋様は非常に興味深い。これについては来週の後編でその詳細をお届けする予定だ。
さて、上の写真奥にあるのが中央祭壇である。そのアップがこちら。
さらに上に目を向けると、そこには騎士の一員プレーティによる天井画。
次に目を左右に転じると、そこにはこのようなアーチ群。
そのアーチのアップがこちら。
実はこのアーチ、1つ1つが8つの各語族ごとの祭壇になっている。その1つ(だと思う・・・)がこちら。
この大聖堂には美術館も併設されている。その目玉はカラヴァッジョの傑作「聖ヨハネの斬首」である。これだけを目当てに訪問する人もいるくらいなのだ。その荘厳極まる作品はこちらだ!
この美術館にはタペストリーはじめ、こんな椅子まで展示されている。
実はこれ、あの前ローマ法王・ヨハネ・パウロ2世が座った椅子なのだ。
もちろん筆者もこの椅子に座って・・・みたりはしていない。誰かに祈りを捧げられたりしては困るからである。
美術館を後にして大聖堂に戻ると、何やら地面に屈みこんでおられる方が。
思わず見惚れてしまった。これぞプロの熟練した技だ。このような細心の配慮によって、これらの墓碑は延々と保存されているのである。
さて、この前編もいよいよクライマックスに来てしまった。
この前編のクライマックスを飾るのは大聖堂内で見かけたこの御婦人なのだ!
そう、この御婦人、
1.雨も直射日光も来ない屋内にも関わらず何故か折り畳み傘を掲げている
2.傘を掲げているにも関わらず傘は開いてはいない
・・・のだ。この矛盾に満ちた行動を示す御婦人、いったい何者なのかお分かりであろうか?
実はこの御婦人・・・
ドイツ人団体観光客のガイドさんなのだ。
つまりあの傘は・・・
そう、目印の旗代わりなのである。
旗を忘れてしまったのであろうか?はたまたこの折り畳み傘こそが彼女のポリシーであり象徴なのか?
ひょっとすると、指示を守らない観光客に向かって注意するときには、いきなりその傘を開くのかもしれない。ガイドが終わったあとには、「では私はこれで」と傘を開いてメリー・ポピンズ状態で飛んで行ってしまうのかもしれない。彼女が傘を開くときに注目だ!
・・・さて、オチがオチなかったところで、前編は終了である。来週の後編では、
大聖堂のアンダーグラウンド
を紹介したい。あらかじめ言っておくが、「地下室に入ったぞ」などというオチではない。いわば暗部・ダークサイドだ。かなり怖い記事になるであろう。怖いもの好きの読者は必見だ!
・・・最近記事の内容よりも予告が上手くなった気がする筆者に、何でもいいからコメント・メールを期待してやまない。
*相も変わらず「人気ブログランキング」なるものに参加中だ。あの御婦人の傘が気になって仕方がない貴方も、傘なんてどうでもいい貴方も、下のバナーをクリックしていただくと、傘を開くぞ。筆者が。