【躊躇してしまう食べ物 その1】
|
多くの方は多かれ少なかれ食べ物の好き嫌いがあるであろう。もちろん筆者にもある。どうしても食べられない、というほど嫌いなものはないが、舌がお子様の筆者はピーマンやニンジンが苦手である。
食べ物の好き嫌いというのは何故か糾弾されやすい。特に野菜の場合がそうだ。肉や魚が嫌い、というのはあまり責められないが、野菜嫌いは何故か非難される。「何でも食べないと栄養が偏って健康に悪い」のが理由だと思うが、それなら肉や魚だって同じではないか。だいたい野菜でも2,3のものが嫌いなだけなら、他の野菜で充分栄養素はカバーできるはずだ。それよりは「この食品は健康に良い」というマスコミなどからの情報を鵜呑みにしてそればかり食べ続ける方がよほど栄養が偏って危険である。
既に体調の悪い人が食事療法をするのは理解できるが、健康な人たちまでが「これが健康にいい」と言って無理して食べているのはどうしても理解できない。そんなに長生きしたいのか。金の亡者は疎んじられるが、健康の亡者だって根は同じである。行き過ぎると浅ましく見えて仕方がない。筆者は太く短く生きたい方なので、食べ物の嗜好を我慢して長生きするよりは喰いたいものを喰って適当に生きられればそれでいいのだ。嫌いなものを喰った結果長生きしてみなさい。その分たくさん嫌いなものを食べ続けなければならないではないか。
…と、長い前置きはさておき。
嫌いなもの、というのは物心つく幼少期までに形成されるものが多いような気もする。何故嫌いなのか理由が分からないものが多いからだ。もちろん、例外はある。
これとは別に、特に嫌いではないけれども、いや、むしろ好きであるはずなのだが、食べるのを何故か躊躇してしまう食べ物、というものもある。なんじゃ、そりゃ?と思われた方もいるかもしれないが、少なくとも筆者には2種類ほどこういう食べ物がある。そして不思議なことに、これらの食べ物は何故そうなってしまったのかがハッキリと分かるのである。
今週はそんな食べ物を紹介してみたい。
好きなはずだけど食べるのを躊躇してしまう食べ物、その1つめは実は「カレーパン」なのだ。
筆者はカレーも惣菜パンも大好きである。どう考えてもカレーパンも大好きなはずなのだ。事実、中学生までは大好物だった。
しかし、である。哀しいかな、中学生のときに悲劇が起こってしまったのだ。
確か中2の時だと思うのだが、筆者はおやつ代わりに近所のパン屋で買った「カレーパン」を食べた。その直後である。妙に胸がムカムカしてきた。胃が物凄く気持ち悪くなってきたのだ。そして筆者はトイレに駆け込み全てをリバースしてしまったのである。
…恐らくは油が古かったのではないか?と思えるのだが、何はともあれ、それ以降はカレーパンを食べるのを躊躇するようになってしまったのだ。
あの悲劇以降も、いつ見てもカレーパンは美味そうなのである。だが手が出ない。それでも「おいしいはずだ」と思って何回か喰ったことはある。食べてみると確かにおいしいし好物なのであるが、食べたあとの心の不安が消えない。そしてまたまた手が出なくなるのである。
味覚の記憶というものは瞬時に形成されて固定されるものなのだ。これは生存のための重要な戦略なのである。その味だけで危険だと脳が判断して拒否してしまうものもあるが、それを食べた後で体調が悪くなったものは、やはり危険と脳にインプットされてしまうものなのである。野生動物にこうした機構がないと毒物を食べてしまう危険があるからだ。
それに引き換え人間のなんと愚かなことか。フグの肝などわざわざ毒を喰ってそれを珍重していたりするのだから。こうしたグルメの方々に較べると、筆者はより野生に近いのかもしれない。
実はあと1つ、意外なものが「好きなはずだが躊躇してしまう食べ物」だったりするのだが、これについては明日を待てっ!