2004年 12月 16日
高村薫「マークスの山」・「レディ・ジョーカー」
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今回は新コーナー「闘魂書評」の記念すべき第1回目である。
・・・厳しいコーナー名ではあるが、単なる書評コーナーである。実は筆者、スイスに来てから日本語恋しさにやたらと日本語の本を読むようになった。主にトラムでの通勤時と昼食時を利用して本を読み漁っている。
筆者は実は本格ミステリと呼ばれる分野が好きなのだ。従って読んでいる本の殆どはミステリ関係である。ここで取り上げる本も当然ミステリに偏るから覚悟しておくように。
さて、記念すべき初回で取り上げるのは高村薫の「マークスの山」「レディ・ジョーカー」の2作である。どちらも上下巻からなる大作だ。
この2作、週刊文春による二十世紀傑作ミステリベスト10国内部門ではそれぞれ3位と5位にランクインしている。おまけに「マークスの山」は直木賞、「レディ・ジョーカー」は毎日出版文化賞まで受賞している。しかも両作品とも映画化までされている(「レディ・ジョーカー」はこの冬か?)ではないか。ということは、きっとミステリの傑作であろうから読んでみようと思ったわけだ。どちらも合田雄一郎という警部補を中心に据えた作品である。
さて、感想であるが・・・面白くないわけではないが、再読しようとまでは思わなかった。この2作だけで判断するのは失礼かもしれないが、きっと筆者は今後高村薫の作品を読むことはないであろう。高村薫は好き嫌いがはっきりと別れる作家であるとの評判だが、その通りだろうな、と素直に思ってしまった。筆者はあまり好きではない、というか嫌いなグループに属してしまったようだ。
これらの作品はきっとミステリではないのだ。バルザックあたりの人間小説が好きな人にはいいかもしれない。この2作品の主題は、舞台こそ違え、「組織と個の葛藤」であろう。組織の中で苦しむ個の内面を描かせれば一級品なのかもしれない(ただし、ミステリ以外の作品ならこれより深い作品はいくらでもあると思う)。ところが筆者は謎の解明を楽しむ読者なのだ。このタイプの読者にとっては、高村薫はあまりいい作家ではない。
まずは「マークスの山」である。
南アルプスを舞台に3件の事件が同時期に発生する。住み込み労働者岩田による登山者殺人事件、謎の死体遺棄事件、そして一家心中事件である。時が流れ、これら3つの事件を背景として東京でマークスと名乗る殺人者による連続殺人事件が起こる。それを合田ら警察が追う・・・という警察小説である。
確かに合田を初め個々の警察官が事件を追う姿勢や警察組織の中で葛藤する様はよく描かれているように思う。一方、これら殺人事件の発生へと繋がる流れには疑問点が多い。以下、ネタばれの箇所もあるので念の為反転させて書くが(読みたい人はドラッグして反転させてくれ)、筆者個人の感想ではネタがばれたからと言って面白さを損なう作品ではないと思っている。実は筆者が理解できなかったのは、一家心中の生き残りのマークスが、どうして殺人犯岩田の存在を知って彼に近づけたのか?である。一家心中事件は他の2事件と離れたところで発生しており、彼はその際に他の事件を目撃したわけではなさそうだからだ。マークスがもうひとつの死体遺棄事件を知ったきっかけは空き巣によるものだと書かれているが、マークスは事件関係者の家と知っていて空き巣に入ったわけではない。だとすると、これは全て運命とか怖ろしい偶然で片付けられてしまうのだろうか?大体その3件の事件発生の際に知ったことではないのだとしたら、一家心中事件が他の2件の事件と同じ時期に同じ場所で発生している必要性が全くないと思うのだが、これは筆者の考えすぎか?
他にもこの作品にはがっかりさせられた点がある。それは他作品とのあまりの類似性である。
ローレンス・サンダースという作家による「魔性の殺人」という作品がある。実は「マークスの山」の舞台背景がこの作品にそっくりなのだ。警察小説、連続殺人、犯行の凶器、そして最後の場面が雪山の山頂・・・全く同じと言ってもいいのではないか?もちろん、犯人の人間像や作品のテーマは大きく異なるが、違う人が同じ外套を着ている印象である。「マークスの山」では最後の場面を高く評価する声も聞かれるが、はっきり言って「魔性の殺人」の最後の場面の方がかなり荘厳である。さらに個人的には、「魔性の殺人」のテーマ「人が人を裁くことができるのか?」の方が「マークスの山」よりは深く書き込まれていたと思う。「マークスの山」では確かに組織の中の個の描写が秀逸だが、肝心の組織、この作品では地検の内部抗争が殆どぼかされている。何か組織の暗部だから・・・と華麗に誤魔化されている印象だ。しかしこれだけの類似性がありながら、それを指摘している書評はあまり見かけない。一般読者はともかくとして、専門の書評家は何をしているのであろうか?筆者が審査員であれば、このあまりの類似性だけで直木賞なぞ与えない。
同じようなことは「レディ・ジョーカー」にも言える。こちらの作品も組織の中の個、特に会社組織の中の個の描写は秀逸であるが、舞台背景は「グリコ・森永事件」そのものだ。他作品ではなく、現実の事件に類似させているところはまだ救いようがあるかもしれないが、この2作品を読んだ限りでは、この作家には構想力があまりないのではないかとすら思ってしまう。また、同じ組織と個の対比というテーマにしても、組織が総会屋になると途端に描写がぼかされる。そのほか、部落開放同盟や在日朝鮮人なども登場するが、これらは本筋には殆ど関係がない。ただ雰囲気を重くするだけのために出されたような印象で、無理に出す必要性が感じられない。ここからは少しネタばれになるので念の為また反転させておくが、本物のレディ・ジョーカーが類似犯の発生に際してマスコミに出した「無関係である」という犯行声明文がどう処理されたのか?新聞記者の根来が何故ネタを掴まされた上で失踪させられたのか(本作にも説明らしいものはあるが、これでは弱いと思う)?レディ・ジョーカーの一員が別件で逮捕されたにも関わらず、何故レディ・ジョーカーとしての犯行を問われなかったのか(警察は知っていたし犯人は自供すらしているのに、である。)?などが全く明らかにされていない。結局、組織の闇の部分を残しておいて、最後は全て闇の力で誤魔化しているとしか思えない。ミステリにはこのようなぼかし方をする作品もあるが、筆者は断じてそれを好まない。著者の力量が不足していると思われても仕方がないではないか。
捜査過程や個の内面を描かせれば冴えているのに、なんとも惜しいものである。少なくとも硬質な筆致からは女性を感じさせない作家だ。この作家が女流であると感じるのは主人公合田と義兄であった加納検事の関係の描写くらいであろう。彼らの友情と愛情の狭間の関係が男性である筆者には生理的に受け付けないからだ。
この作家の作品はミステリとして読むと損をするような気がする。書評家たちも褒めているのはその文学性の部分である。人間文学として読むならお勧めかもしれないが、ミステリ以外の文学と比較してどうなのかは筆者には分からない。
・・・い、いかん。いきなり筆が走ってしまった。「闘魂書評」に相応しい辛口になってしまった。これからはもっとソフトに紹介するので、見捨てないでくれ。ミステリファン以外の方には恐縮の記事であったが、温かいコメント、闘うコメントをお待ちしている。おっと、メールもお待ちしているからどうかよろしく。
・・・厳しいコーナー名ではあるが、単なる書評コーナーである。実は筆者、スイスに来てから日本語恋しさにやたらと日本語の本を読むようになった。主にトラムでの通勤時と昼食時を利用して本を読み漁っている。
筆者は実は本格ミステリと呼ばれる分野が好きなのだ。従って読んでいる本の殆どはミステリ関係である。ここで取り上げる本も当然ミステリに偏るから覚悟しておくように。
さて、記念すべき初回で取り上げるのは高村薫の「マークスの山」「レディ・ジョーカー」の2作である。どちらも上下巻からなる大作だ。
この2作、週刊文春による二十世紀傑作ミステリベスト10国内部門ではそれぞれ3位と5位にランクインしている。おまけに「マークスの山」は直木賞、「レディ・ジョーカー」は毎日出版文化賞まで受賞している。しかも両作品とも映画化までされている(「レディ・ジョーカー」はこの冬か?)ではないか。ということは、きっとミステリの傑作であろうから読んでみようと思ったわけだ。どちらも合田雄一郎という警部補を中心に据えた作品である。
さて、感想であるが・・・面白くないわけではないが、再読しようとまでは思わなかった。この2作だけで判断するのは失礼かもしれないが、きっと筆者は今後高村薫の作品を読むことはないであろう。高村薫は好き嫌いがはっきりと別れる作家であるとの評判だが、その通りだろうな、と素直に思ってしまった。筆者はあまり好きではない、というか嫌いなグループに属してしまったようだ。
これらの作品はきっとミステリではないのだ。バルザックあたりの人間小説が好きな人にはいいかもしれない。この2作品の主題は、舞台こそ違え、「組織と個の葛藤」であろう。組織の中で苦しむ個の内面を描かせれば一級品なのかもしれない(ただし、ミステリ以外の作品ならこれより深い作品はいくらでもあると思う)。ところが筆者は謎の解明を楽しむ読者なのだ。このタイプの読者にとっては、高村薫はあまりいい作家ではない。
まずは「マークスの山」である。
南アルプスを舞台に3件の事件が同時期に発生する。住み込み労働者岩田による登山者殺人事件、謎の死体遺棄事件、そして一家心中事件である。時が流れ、これら3つの事件を背景として東京でマークスと名乗る殺人者による連続殺人事件が起こる。それを合田ら警察が追う・・・という警察小説である。
確かに合田を初め個々の警察官が事件を追う姿勢や警察組織の中で葛藤する様はよく描かれているように思う。一方、これら殺人事件の発生へと繋がる流れには疑問点が多い。以下、ネタばれの箇所もあるので念の為反転させて書くが(読みたい人はドラッグして反転させてくれ)、筆者個人の感想ではネタがばれたからと言って面白さを損なう作品ではないと思っている。実は筆者が理解できなかったのは、一家心中の生き残りのマークスが、どうして殺人犯岩田の存在を知って彼に近づけたのか?である。一家心中事件は他の2事件と離れたところで発生しており、彼はその際に他の事件を目撃したわけではなさそうだからだ。マークスがもうひとつの死体遺棄事件を知ったきっかけは空き巣によるものだと書かれているが、マークスは事件関係者の家と知っていて空き巣に入ったわけではない。だとすると、これは全て運命とか怖ろしい偶然で片付けられてしまうのだろうか?大体その3件の事件発生の際に知ったことではないのだとしたら、一家心中事件が他の2件の事件と同じ時期に同じ場所で発生している必要性が全くないと思うのだが、これは筆者の考えすぎか?
他にもこの作品にはがっかりさせられた点がある。それは他作品とのあまりの類似性である。
ローレンス・サンダースという作家による「魔性の殺人」という作品がある。実は「マークスの山」の舞台背景がこの作品にそっくりなのだ。警察小説、連続殺人、犯行の凶器、そして最後の場面が雪山の山頂・・・全く同じと言ってもいいのではないか?もちろん、犯人の人間像や作品のテーマは大きく異なるが、違う人が同じ外套を着ている印象である。「マークスの山」では最後の場面を高く評価する声も聞かれるが、はっきり言って「魔性の殺人」の最後の場面の方がかなり荘厳である。さらに個人的には、「魔性の殺人」のテーマ「人が人を裁くことができるのか?」の方が「マークスの山」よりは深く書き込まれていたと思う。「マークスの山」では確かに組織の中の個の描写が秀逸だが、肝心の組織、この作品では地検の内部抗争が殆どぼかされている。何か組織の暗部だから・・・と華麗に誤魔化されている印象だ。しかしこれだけの類似性がありながら、それを指摘している書評はあまり見かけない。一般読者はともかくとして、専門の書評家は何をしているのであろうか?筆者が審査員であれば、このあまりの類似性だけで直木賞なぞ与えない。
同じようなことは「レディ・ジョーカー」にも言える。こちらの作品も組織の中の個、特に会社組織の中の個の描写は秀逸であるが、舞台背景は「グリコ・森永事件」そのものだ。他作品ではなく、現実の事件に類似させているところはまだ救いようがあるかもしれないが、この2作品を読んだ限りでは、この作家には構想力があまりないのではないかとすら思ってしまう。また、同じ組織と個の対比というテーマにしても、組織が総会屋になると途端に描写がぼかされる。そのほか、部落開放同盟や在日朝鮮人なども登場するが、これらは本筋には殆ど関係がない。ただ雰囲気を重くするだけのために出されたような印象で、無理に出す必要性が感じられない。ここからは少しネタばれになるので念の為また反転させておくが、本物のレディ・ジョーカーが類似犯の発生に際してマスコミに出した「無関係である」という犯行声明文がどう処理されたのか?新聞記者の根来が何故ネタを掴まされた上で失踪させられたのか(本作にも説明らしいものはあるが、これでは弱いと思う)?レディ・ジョーカーの一員が別件で逮捕されたにも関わらず、何故レディ・ジョーカーとしての犯行を問われなかったのか(警察は知っていたし犯人は自供すらしているのに、である。)?などが全く明らかにされていない。結局、組織の闇の部分を残しておいて、最後は全て闇の力で誤魔化しているとしか思えない。ミステリにはこのようなぼかし方をする作品もあるが、筆者は断じてそれを好まない。著者の力量が不足していると思われても仕方がないではないか。
捜査過程や個の内面を描かせれば冴えているのに、なんとも惜しいものである。少なくとも硬質な筆致からは女性を感じさせない作家だ。この作家が女流であると感じるのは主人公合田と義兄であった加納検事の関係の描写くらいであろう。彼らの友情と愛情の狭間の関係が男性である筆者には生理的に受け付けないからだ。
この作家の作品はミステリとして読むと損をするような気がする。書評家たちも褒めているのはその文学性の部分である。人間文学として読むならお勧めかもしれないが、ミステリ以外の文学と比較してどうなのかは筆者には分からない。
・・・い、いかん。いきなり筆が走ってしまった。「闘魂書評」に相応しい辛口になってしまった。これからはもっとソフトに紹介するので、見捨てないでくれ。ミステリファン以外の方には恐縮の記事であったが、温かいコメント、闘うコメントをお待ちしている。おっと、メールもお待ちしているからどうかよろしく。
by スイスの殿 |
by inspectormorse
| 2004-12-16 06:30
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